霞ヶ浦海軍航空隊副長だった若き日の山本五十六

当時の航空隊には「KG」という内輪の暗号があり、これは霞月楼の
ことをさしていた。

 

連合艦隊司令長官となった頃の写真

 

 

堀越満寿子

二代目・堀越正雄(1876〜1943)

東京暮らしが長かったこともあり
当時はダンディーで鳴らした。

二代目女将・満寿子(1878〜1943)
<初代ハツの娘>

 

 

航空隊副長時代、新潟出身で関東に身寄りのなかった山本五十六に、正雄・満寿子夫妻はその当時から親代わりのように接してきた。

十余年の後、連合艦隊司令長官となった五十六から一通の手紙が届く。昭和16年12月5日付けのその手紙は、太平洋戦争へ突入する真珠湾攻撃直前に旗艦長門から発信されたものであった。

米国駐在武官の経験から、誰よりもアメリカの底力を知る五十六は、日米開戦を目前に複雑な思いの中でしたためたのであろう。「最後の御奉公」という言葉が暗示的である。

五十六は昭和18年5月、戦死を遂げるが、その悲報を知ることなく、夫妻は同年の1月に相次いで他界している。


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